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名古屋高等裁判所 昭和34年(ネ)255号 判決 1960年3月03日

控訴人(附帯被控訴人)被告 三桝紡績株式会社 外一名

訴訟代理人 鍜治良作 外六名

被控訴人(附帯控訴人)原告 設立中の財団法人三桝育英会

訴訟代理人 江谷英男 外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人の仮処分申請を却下する。

被控訴人の附帯控訴を棄却する。

訴訟費用(附帯控訴の費用を含む)は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の仮処分申請を却下する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」旨の判決、並びに被控訴人の附帯控訴につき、「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は附帯控訴人の負担とする」旨の判決を求めた。

被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人等の負担とする」旨の判決、並びに附帯控訴として、「原判決中附帯控訴人の申請を却下した部分を取消す。附帯被控訴人等は、別紙物件目録掲記の株式につき、附帯控訴人が昭和三十一年十一月二十八日以降、しからずとするも、昭和三十三年四月二十二日以降、仮に附帯被控訴人会社の株主たることを確認し、本案判決確定に至るまでに開催せられる附帯被控訴人会社の通常株主総会並びに臨時株主総会に出席し、株主として権利を行使することを許さなければならない。訴訟費用は第一、二審共附帯被控訴人等の負担とする」旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、並びに疎明の提出、援用及び書証の認否は、左記に附加するところの外、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴代理人は、次のように述べた。

第一、「設立中の財団」なるものについて、

原判決は、その理由中「一、被申請人等の申請手続上の抗弁について」において、設立中の財団法人三桝育英会なるものを認め、その代表者を清水清明であるとなし、又設立中の財団法人なるものにつき、当事者たる地位を認めているが、これらは、法律上及び事実認定上誤つている。

一、原判決が設立中の財団法人なるものに、本件の当事者たる地位を与え、更に、これに財産の帰属を認めたことは正しくない。法学及び実定法上において、権利能力のない社団及び財団なるものが認められ、これに当事者能力が与えられていることは、周知のとおりであるが、これは、非公益かつ非営利の団体(民、商法によつて法人たることから外されているもの)に対し、団体としての行動を保障するための理論構成であつて、未完成の法人(社団法人、財団法人、会社等の胎児)に、その完成した場合と同じような能力を与えようとするものでないことは、いうまでもない。もし、原判決のいうように、設立手続完了前の法人や会社に対し、その役員らしいものが存し、将来その財産となるべきものが決定しているという理由で、一般第三者に対する関係において、法律上自由にその活動の能力を認めるならば、民、商法その他の法律による法人制度は、根本から破壊され、法人に対する国家の監督は不可能となり、取引は混乱してしまうのである。原判決は、この点において、根本的に法の理解を欠いているというの外ない。

(一)  設立中の法人について、その実態である胎児としての存在を、何等かの意味において、法律上にも認めようとする考え方及び立法は存するが、それは、胎児に一人前の法律上の能力を与えようとするものではない。唯、株式会社については、商法は、発起人が会社の設立を条件として、特定の財産の取得を目的とする契約を締結することを、厳格な条件の下に、例外として許容している。但し、これも、その効果を生ずるのは、法人設立後のことである。これらのことは、公益法人については、会社の場合より一層厳格に、解されるべきでこそあれ、これより緩かに解すべき理由はない。これを要するに、設立中の法人が第三者との関係において、人格あるものと同じような行為をすることはないのである。従つて、原判決が「設立中の財団法人」という申請人及び被申請人に、本件訴訟の当事者たる地位を認めたことは、出発点において、既に誤つているのである。

(二)  のみならず、原判決は、「設立中の財団法人」が実体法上においても、それ自身の資格において、財産を取得しうるという解釈の下に、その間の財産(本件では株式)の取得や引渡を論じている。しかし、既に述べたところから明らかなように、法人は、その設立を完了するまでは、人格を有せず、又財産を取得しえない。このことは、明文上においても民法第四十二条第一項が、寄附財産は、法人設立の許可のときから、法人の財産を組成する旨を定めているとおりなのである。これを、財団を設立しようとする場合の実務を念頭において考えてみれば、一層よく判る。特に、本件のように寄附行為者が一人である場合、一切の設立手続が完了し、その設立が許可になつたとき、寄附財産を引渡すことになるのであつて、そのとき以前に、法律上寄附行為者と対立する何等かの権利主体を想定する必要は、全くないのである。

(三)  なお、原判決は、民法第四十二条第二項が「遺言ヲ以テ寄附行為ヲ為シタルトキハ寄附財産ハ遺言カ効力ヲ生シタル時ヨリ法人ニ帰属シタルモノト看做ス」と定めているのを、読み違えて、設立中の財団が財産を取得することがあると解し、又生前処分による寄附行為の後、その設立許可前に、寄附行為者が死亡したときは、寄附財産は、右死亡のときに設立中の財団なるものに帰属すると解釈しているが、これこそ誤の上に誤を重ねたものという外ない。この条文は、遺言による寄附行為に従つて手続が進められ、幸い設立許可が出た場合に、寄附財産は、その許可のときから財団のものになるのであるが、その帰属の効果は、寄附行為者の死亡のときに遡るということである。この条文は、生前処分による寄附行為者が許可前に死亡した場合に準用されるとする説も、考えられるかもしれないが、そのような説を考えても、その意味するところは、原判決の考えるようなことではない。それは、生前処分による寄附行為者が設立の日を見ないで死亡したときに、その相続人が故人の意向を受けついで、その寄附行為に基き設立手続を続行し、それが設立許可になつた場合には、その財産が故人の死亡のときに、財団に帰属したのと同様に扱つてやろう(例えば、相続人に相続税を課さないことにしよう)ということなのである。凡そ、民法の初歩の理論を詳説するまでもなく、「看做ス」というのは、「そうでない」ということが前提となつている。従つて、「設立中の法人」が財産を取得することのありえないことは、この条文からみても明らかなのである。法人の場合に限らず、自然人の胎児についても、民法は、数ケ所において、「既ニ生レタルモノト看做ス」と規定している。しかし、それによつて、胎児が法律上の能力を取得するものではなく、従つて、訴訟を提起しうるものでないことは、多言を要しないであろう。これを要するに、原判決は、自然人及び法人の人格、その出生、各種能力についての基本的理解を欠いたものというの外ないのである。

二、原判決は、右のような法理論に対する誤解のために、なすべからざる事実認定を行い、又誤つた認定をしているものである。

(一)  寄附財産は、前記のごとく、財団設立手続の完了まで、財団に帰属しない。しかるに、原判決は、寄附行為(しかも、生前処分)があるや、直ちに「権利能力のない財団」が存在しうると考えて、その運営管理機構を定めた事実の有無について、認定を試みている。しかし、凡そ財産を取得しえない財団のごときは、観念上にも全くナンセンスなのである。

(二)  なお、細かいことであるが、原判決は、亡千代二郎が生前に株式二十万株及び現金二十万円を出捐したという被控訴人の主張について、「当事者間に争がない」といつているが、控訴人は、原審においてこれを争つているのである。

(三)  又、原判決は、被控訴人の設立総会なるものについて、種々認定を試みているが、これまた意味をなさない。凡そ、財団は、社団の場合と異り、人的団体ではないから、何人かが集つて、その設立総会と称するものを開催してみても、法律上何の意味もない。亡千代二郎の作成した乙第一号証中に、設立総会決議録という文書があるのは、文部省が財団法人設立許可申請の書式を定めるに当り、その中に設立総会決議録なる書面を加えるように求めているので(文部省は、不用意に社団の場合と混同しているのであろう)、形式を整えるために、それに沿う書類を作つたに過ぎない。そのようなわけであるから(以下、ここに論ずる必要もないのであるが)、本件の実際においても、設立総会なるものは、開かれていない。その決議録なるものは、存在するが、それは、書式を整えるために、架空に作成されたものに過ぎない。しかも、この決議録は、文部省がその署名者(将来役員となる予定の者が署名している。但し、清水清明の氏名記載の一部には、同人の署名でないものがある)の人選について、文句をいうので、二回にわたり変更されているから(但し、決議録の日附は、もとのまま)、その訂正後の署名者による会合のごときは、自然の成行の上からも、全くなかつたことが明白なのである。原判決のこの部分の認定は、法理を無視し、事実の矛盾を省みないものという外ない。

(四)  原判決は、設立中の申請人財団の代表者について論じているが、その無意味であることは、上記のところから明らかである。なお(これは、論ずること自体、殆んど必要がないと思われる仮定抗弁ではあるが)、原判決は、亡千代二郎の後任の理事長予定者選任の理事予定者会なるものについて、その招集通知の不備、その他の瑕疵を認めながら、その選任決議を有効と判断している。即ち、清明は、右会合を昭和三十三年十二月二十日に開催する旨の通知を、各理事予定者に宛てて発送したのであるが、その発送は、同月十八日の朝であり(集配は、午前八時)、発送地は、玉城町であつた。ところが、郵便物は、津市から東京まで二日と数時間を要する(津地方裁判所から東京へ送つて来る郵便物の消印によつて判る)。事実、右通知が東京の広瀬英利の許に配達されたのは、同月二十日の会合の開催時刻を遙かに過ぎてからであつた(しかも、このときは、年末なので、いつもより多くの時間を要した)。このような通知が、出席権利者への招集通知にならないことは、いうまでもない。又、理事予定者の一人の吉田謙介が、清水清明を理事長予定者に選任したというのが仮構であることは、原判決の認定しているとおりである。原判決は、このような瑕疵があつても、右理事予定者会の決議は有効であり、清明は、それによつて代表者になつたのだという。これは、暴論というの外ない。右のような瑕疵がもし正規の会議に存在すれば、法律上も決議取消(取消の規定がなければ無効)の事由となるものである。

第二、本件株式の帰属について、

右に述べたようなわけで、本件仮処分申請は、当事者を誤つているから、本件株式の帰属関係如何について論ずるまでもなく、理由がないものなのである。しかし、その点を看過するとしても、原判決のその余の判断もまた、誤つているので、ここに反駁しておくこととする。

一、亡千代二郎は、はじめ遺言により、財団法人清水育英会設立の意思を表示していたが、後に、申請外伊藤忠兵衛氏の助言があつたので、止むなく、生前処分による財団法人三桝育英会設立の設立申請書類を作つて、文部省に提出した。しかし、文部省は、一ケ年余にわたつて審査した末、その申請の内容(寄附財産及び役員の顔触れ)自体から、その設立を許可しえずとして(原判決が「申請手続の不備を指摘して」と認定しているのは、誤りである)、書類を返却してよこしたので、ここに、右財団の設立は、不成立に帰した。千代二郎も、これで右伊藤氏に対する言訳もできたとして、それ以後、生前に財団を設立する計画を再び立てなかつた。それらの事実の詳細については、後に明らかにするとおりである。しかるに、原判決は、「生前処分による寄附行為にもとづく財団法人の設立の意図を放てきしていたものとは、到底解することができない」と判断した。しかし、この判決は一体、千代二郎が右生前の財団設立の意図を放てきしないと認定することによつて、法律上何の意味があると考えたのであろうか。文部省は、右に述べたように、寄附財産及び役員予定者に変更(しかも、本件では、かなり大きい変更である)を加えなければ、許可できないとして書類を返してよこしたのであるから、これによつて、生前の寄附行為に基く設立の不可能なことが確定し、その寄附行為は、一片の反故となり終つたのである。もし、そのとき、千代二郎が文部省の納得するような財団を作ろうと思つたら、その許可申請の手続をしたであろう。しかし、それは、前の申請の継続ではなく、内容的に前のとは別の財団を作ろうという、新たな寄附行為の作成による申請に外ならない。たとえ、そのとき、千代二郎が返却された前の申請書をそのまま使つて、その記載の字句を訂正して提出したとしても、それは、法律上は別個の新しい申請とみる外ないのである。けだし、寄附行為においては、財団の目的及び資産に関する部分は、本質的なものであつて(民法第三十九条、第四十条参照)、その変更は、当然に寄附行為そのものの同一性を失わせるものだからである。この点で、本件申請人である財団は、虚無のものであることが明らかである。原判決は、この余りにも自明なことを、非常に不注意にも看過してしまつたのである(しかも、前記のように、千代二郎は、新たな申請をせず、又する気も全然なかつたのである)。従つて、千代二郎の死後、清明が被控訴人財団の設立の手続をしたとすれば、それは、清明の寄附行為ではあるかもしれないが、千代二郎の寄附行為ではありえないのである。

二、次に、原判決は、本件株式が千代二郎死亡のときにおいて、被控訴人に帰属したと認定しているが、先に述べたとおり、設立完了前の団体が財産を取得することは、ありえないし、又被控訴人財団と本件株式は、法律上の結びつきはないのであるから、ここの法律論や認定は、悉く誤りであるという外ない。

三、原判決は、本件株式が控訴人財団なるものの名義に書換えられ、控訴人財団なるものが、その保管を控訴人会社に托していると認定しているが、これも誤りである。財団は、現在未だ存在しないから、株式の名義も、「財団法人清水育英会設立委員長広瀬英利」となつているのである。

四、原判決は、遺言による寄附行為は、その後になされた生前処分による寄附行為によつて、取消されたと解しているが、後に述べるように、生前処分による寄附行為なるものは、それに沿うような寄附者の意思がなく、それによつて、先の遺言は、取消とはなつていないのである。原判決は、遺言と生前行為とが牴触すると考えたのであるが、両者は、どこが牴触するのであろうか。そもそも、千代二郎が生前行為において、財団に寄附しようとしたのは、控訴人会社の株式二十万株と現金二十万円という不特定物であつて、先に遺言で寄附しようとした株式と、特定していたのではない。しかして、世間には、同種の株式が、百五十万株もあるのであるから、後の生前処分によつて、先の遺言が不能にはならない。それが不能になる場合を強いて考えるなら、生前処分により財団が生前に無事設立され、しかも、千代二郎がその遺言を執行するのに必要な株式二十万株を残さないで、死亡してしまつたという場合だけである。従つて、原判決が、千代二郎は生前処分によつて、遺言を取消したと考えたのは、まことに軽卒という外ない。しかも、その生前処分とは、一応文部省に対し、財団設立許可申請の書類が提出されたというに止まり、その申請は、前記のように、ついに許可されないことに確定したので、それは、寄附行為として、不成立となつたのである。即ち、寄附行為は、財団設立行為の一環をなすものとして、元来許可があるまで、その法律上の効果が完成しないのであるが、本件生前処分の寄附行為は、ついに文部省の容れるところとならず、それは、成立することがなく終つたのである。このように、不成立のままに終つた生前処分によつて、先の遺言の効力が左右されるはずのないことは、多言を要しないところである。民法は、生前処分として寄附行為に、贈与に関する規定を準用しているが(同法第四十一条第一項)、前述のように、寄附行為は、財団設立行為の一環としてのみ、意義をもつもので、主務官庁の許可がえられない限り、財産処分行為として、当初から不成立となるのであるから、遺言と牴触する贈与が一旦成立した後に、贈与が取り消された場合に、贈与の成立に基く遺言の失効の効果(同法第千二十三条)が回復しないこと(同法第千二十五条)とは、同日に談じえられないのである。

第三、仮処分の必要性について、

原判決の挙げている仮処分を必要とする事由なるものは、全くその事由たりえていない。

一、凡そ、原判決主文のような、いわゆる現状維持の仮処分は、被申請人が係争物件を処分するおそれがある場合に、その必要性を生ずるものであることは、いうまでもない。しかるに、原判決が認定しているように、却つて、本件株式は、被申請人会社の第二十一期株主総会において、被申請人財団の設立委員長広瀬英利の名で行使されているのであり、これが他に処分されるおそれのある事実は、何も疎明されていないのである。その他、原判決は、被申請人会社が千代二郎の遺族に、総会で決議ずみの弔慰金を支払わないとか、清水清明に対する回収不能の債権を資産に計上しているのがおかしいとか、会社所有自動車の利用方法が悪いとかを挙げているが、これらの事実は、いずれも本件株式の行使や処分に関係する問題ではない。のみならず、右弔慰金の支払は、現在遺族の間で、遺産争いをしているので、これを差し控えているに過ぎない。又、特に、清水清明は、被控訴人の代表者と称して、行動しているものであるから、会社が同人に対して有する債権を回収不能と主張するのは、極めておかしいことであり、もし、清明が会社に対し、右債務を弁済する意思がないというのなら、そのような人物が代表者となつている被控訴人の仮処分申請こそ、直ちに却下されなければならないわけである。更に、会社の債権は、一般に、これを会社の資産から落すことは、税務署が許さないのであるから(債務者が破産する等、回収不能の事実が明らかにされない限り、税務署は、これを許さない)、原判決は、会社をとびこえて、日本の税務署を攻撃していることになるのである。なお、原判決は、会社の社長が社用に自動車を利用したからといって、それが首肯できないというのであるが、凡そ、社会の実情に目をおおつた議論というの外ない。

二、更に、被控訴人の代表者と称する清水清明は、右に述べたように控訴会社に対する債務を踏倒そうとしている者であるばかりでなく、本件をはじめとする一連の訴訟手続によつて、会社の実権を手に入れた上、これを喰い倒そうとしている者なのである。それを裏書きする諸事実については、追つて明らかにするが、本件仮処分の必要性を認定するについては、特に、申請人の真の意図がどこに存するかを、充分認識していただきたいと思うのである。

三、なお、清水清明は、津地方裁判所に対する別件の訴訟において、個人として、本件と同じ株式につき相続権があると主張し、現在も引続き訴訟を行つているが、本件申請は、右の訴訟と全く矛盾し、相容れないものである。原審裁判所は、このことを熟知しながら、敢て本件につき仮処分を命じたのは、まことに理解しがたいところである。

第四、本件の真相について。

一、亡清水千代二郎は、貧しい家に生れ、米穀仲介その他色々の仕事をした人であるが、若いとき、三重県の高僧村田和尚の教を受け、爾来、その思想に深く影響されるに至つた。千代二郎の刻苦勉励は、このような経歴によつて、深くその人格を形成していたものである。しかして、同人は、戦争中鳥羽市において、三桝製作所という名称で鉄工業を営み、玉城町の約一万坪の土地に分工場を作ろうとした矢先、終戦となつたので、右分工場の土地建物を利用して、紡績事業を行うこととし、昭和二十三年に控訴会社を設立して、その社長となつた。しかして、長男英一には、三桝製作所の事業を与え、次男清明には、新会社の自己の持株の三分の一を与え、専務取締役として、その仕事を手伝わせようとした。

二、しかるに、清明の行動は、千代二郎の期待に反するものが多かつた。凡そ、事業経営の発展のために、実際上最も重要性があるのは、金融をえることであるが、清明は、何の努力もせず、又その能力もないことが判然とした。のみならず、清明は、専務となつても、殆んど出社せず、取締役会も度々欠席し、しかも行先を告げないで、いなくなることが度重なり、たまに出社しても何もしないので、人一倍格勤精励な千代二郎の気に入らなかつた。そこで、周囲の人が気をきかせて、会社の取引のため大阪へ出張等するに際し、清明も一緒に連れてゆき、同人が仕事をしたように繕つてやろうと、度々努力したのであるが、清明は、却つて、その都度取引関係の書類を持つたまま、出張先からいなくなり、行方不明になつた。しかも、そのため会社の業務に支障を生じたのである。

三、更に、その間昭和二十九年春、会社は、金融に行き詰り、支払手形を落すために、数千万円の資金を要するという事態に立ち至つた。そこで、社長の千代二郎以下会社役員は、皆金融に奔走した。その際、千代二郎は、それまでも度々援助を求めたことのある現社長広瀬英利に、危機切抜けの方策について相談し、誠意を尽してその助力を懇願したので、同人も感激し、自ら債権者の岡谷鋼機へ行つて、手形の書換を承諾させ、又第三相互銀行に頼んで、つなぎ資金三千万円の借出に成功した。加うるに、同人の計画に基き、千代二郎は、一・五倍の増資をすることとし、役員総がかりで、株価の吊上げに努力した。しかるに、清明は、会社のこの危機に当り、「会社は潰れるだろう。自分は、斜陽産業に協力する気はない」などとうそぶいて、自己の持株を売りに出した。そのため、株価工作は、非常な障害を受けたのであり、このことが千代二郎を憤激せしめた。そして清明は、その後昭和三十年九月取締役を退任させられるに至つたのである。

四、清明の言動が、全く刻苦勤勉の人である千代二郎の意に反するものであつたのは、いうまでもない。千代二郎は英一とは早くから気が合わなかつたので、前記のように、同人には鉄工業を与えて仕事の面で袂を別つていたのである。千代二郎は、このような事情の下に、随分前から周囲の者に対し、「自分は、子供を育てそこなった。このままで私が死ぬと、子供が相続して、折角私が作った紡績の事業を潰してしまうだろう。子供達には、してやることは充分してやつたから、後は、会社が続くような方法を採りたい」といつていた。同時に、自己の死後は、国家のため有為の人材の育成に寄与したいという気持もあつた。しかして、それ応じて、育英財団を作つて、これに株式を持たせる案が浮んでいた。しかるに、たまたま千代二郎が脳溢血で倒れるという事態が生じたので、同人も、急にそのことを実現する気になり、昭和三十一年一月十三日公証人を招いて、本件遺言による寄附行為(甲第三号証の一、二)をなしたのである。

五、ところで、前記伊藤忠兵衛氏は、誰も知る紡績界の大先輩であり、かつ、控訴人会社の作つた絲は、伊藤氏の経営する伊藤忠や丸紅に納入していた。しかも、伊藤氏は、千代二郎の求めに応じ、経営について色々の指導を与え、又会社が六千錘の増設をする際、その設備につき援助をしてくれたので、そのために、会社が隆盛に向つたという事実もあつた。そのようなわけで、千代二郎は、伊藤氏に全く頭が上らなかつたのであるが、たまたま、同氏は、千代二郎に対し、「そんな善行をする気があるのなら、生前に財団を作り、あなた自身初代理事長になりなさい」とすすめた。しかし、千代二郎にとつては、紡績事業にこそ強い情熱があつたが生前に財産を投げ出して、育英事業をするだけの熱意がなく、財団設立も、自分の死後紡績事業を守るための手段とすることがその主目的であつたので(このことは、前記遺言の文言にも現われている)、伊藤氏のすすめには、大いに困惑した。しかも、会社経営のための金融を受けるに際し、千代二郎が個人保証して借りることができるのも、自ら三十万余株を有しているからに外ならないのであるから、これを生前に投げ出せといわれるのは、まさに致命的であつた。そうかといつて、伊藤氏のすすめに、正面から反対することもできなかつた。そのようなわけで、財団設立は、のびのびの形にされていた。しかるに、伊藤氏は、別のとき更に「早く財団を作れ。許可は、私がとつてやる」といつた。ここにおいて、千代二郎は、いよいよ切羽つまつて、とにかく、余り実現しそうにもない申請をしておこうということになつた。ここで、持株全部の寄附についての許可申請をすると、それが実現した場合、千代二郎は、株主たる地位を失うことになり、個人としても非常に淋しいし、又前記のように、会社経営上にも支障を生ずるので、寄附財産は、株式二十万株と運営資金として現金二十万円だけとし、昭和三十一年十二月そのような財団設立の許可申請書を作つて、文部省に提出したのである。

六、そのようなわけで、申請書は出したが、その後の努力は何もしなかつた。伊藤氏は、右のように、自ら許可をとつてやるといつていた位であるから、うつかり同氏に頼むと許可になるおそれがあつたので、千代二郎は、伊藤氏にはそれを頼まなかつた。又千代二郎や広瀬の知人に、文部省に勢力を持つ人は沢山あつたが、それらの人に頼むことも、勿論しなかつた。途中で、文部省は、役員予定者を変更せよと指示して来たが、これを一、二を入れかえただけで、お茶をにごしておいた。このようにして、無事に一年数ケ月を経過し、昭和三十三年三月末文部省から、資金が不足だし、役員の顔触れもよろしくないから、これでは許可できないといつて、申請書類を返して来たので、ここに、生前の財団設立は、成立することなく終つたのである。しかして、千代二郎は、これで、伊藤氏に対する言訳がたつたといつて、大いに喜び、取締役の広瀬及び辻井に対し、「遺言で処置してくれ」と頼んだのである。その後生前に、文部省の許可しそうな、財団設立の許可申請をし直すことは、勿論しなかつたのである。

七、以上がありのままの事実の真相である。これによつて、先の遺言が取消されたとか、生前処分による寄附行為があつたとか、況んや、これが現在もなお生きているとかいうことが、いかに事態の本筋をゆがめ、故人の意思に反し、又正義にも合しないものであるかが極めて明白であろう。

第五、附帯控訴の理由に対する答弁として、

一、附帯控訴人の主張第一項記載中、昭和三十四年五月二十九日開催された附帯被控訴人会社の第二十二期株主総会において、決算書承認に関する議案が成立したことは、これを認めるが、その余の点を否認する。

(一)  本件株券は、本件仮処分申請以前から、会社の東京事務所に保管してあつたところ、附帯控訴人は、同年五月二十八日原判決の言渡があるや(附帯被控訴人がその正本の交付を受けたのは同年六月になつてからである)、翌同年五月二十九日直ちにその執行をなして来た。そこで、広瀬英利は、未だ右株券を取寄せてなかつたので、執行吏に対し、同年六月十六日に東京よりこちらへ持参する旨確約した。しかして、その後約定のとおり右株券を本社へ移し、更に、附帯控訴代理人浜口雄氏にその旨を伝えたのである。しかるに、附帯控訴人は、同年五月二十九日に株券が本社内に置いてなかつたことを悪用し、あたかも、附帯被控訴人が故意に仮処分の執行を妨げたかのように曲言して、別件十万株に対する仮処分申請を行い、又本件附帯控訴をしているのである。なお、右の株券は、間もなく執行吏に引渡され、仮処分の執行は、平穏に完了している。

(二)  次に、附帯控訴人は、会社役員が不健全な決算書を作成したというが、どこが不健全なのであろうか。附帯控訴人の従来の主張から考えると、会社が清水清明に対して有する債権を会社の資産に掲げたのを、不健全だというのかもしれないが、そうとすれば、附帯控訴人の代表者は右清明なのであるから、右のごとき主張者の代表者が自ら自己の債務を払わないと主張することとなり、まことに変な話である。なお、原判決も、清明に対する債権は、事実上回収不能の、いわゆる不良債権と見ているようであるが(仮に、右のように、仮処分の申請人代表者自らが、自己の債務を払わないことをその仮処分の理由中で主張することが許されるとしても)、会社が不良債権を切捨てるについては、法規上及び税務署の取扱上、厳重な制約があること、前述のとおりであり、右清明に対する債権は、当時において、未だこれを切捨てることができなかつたものである(法人税法施行規則第十四条参照)。

(三)  なお、附帯控訴人は、自ら仮処分を申請して却下された十万四千七百六十五株の株式につき、附帯被控訴人側(但し、「控訴人財団代表者広瀬英利」ではなく、「財団法人清水育英会設立委員長広瀬英利」である)が同年五月二十九日の株主総会において、権利を行使したといつて非難しているが、この非難は意味をなさない。けだし、当日の株主権行使は、仮処分判決の命ずるとおりに、行使されたものに外ならないからである。

(四)  最後に、附帯控訴人のいう配当金は、問題が解決するまで、これを銀行に保管しているのである。

二、附帯控訴人の主張第二項記載の事実中、第二十三期株主総会は、予定として、大よそ附帯控訴人のいうとおりになつているが、その余の点は、全部これを争う。

被控訴代理人は、次のように述べた。

第一、被控訴人財団の当事者能力について、

設立中の被控訴人財団が訴訟当事者能力を有することに関する原判決の法律解釈は、正当であつて、控訴人等の主張は、事実をまげて、勝手な法律論を述べているものに過ぎない。

第二、千代二郎生前の寄附行為に基く財団設立について、

控訴人等は、千代二郎生前の寄附行為に基く財団設立申請書の返却をもつて、財団設立は不成立に帰したと主張するが、右は、事実と相違する。

一、亡千代二郎は、被控訴人の代表者として、その生存中に何回となく文部省から申請手続の不備を指摘せられて、その都度、文部省の意向に沿い、財団の設立許可がなされるように、申請書を補正して提出していたものであり、昭和三十三年三月頃の申請書の返還も、その不備を補正するためのものであつた。このことは、文部省からの回答書(甲第五号証の一乃至三)をみても明白であつて、もし、その申請が却下されたものであれば、右の書類も来るはずがなく、又申請書(甲第一号証)も受付けられる道理がないのである。

二、文部省は、被控訴人の財団設立許可申請手続を、亡千代二郎のなした生前の寄附行為に基く申請手続と同一のものと認め、亡千代二郎が被控訴人の代表者としてなした申請書の原本(乙第一号証)さえ提出すれば、財団法人三桝育英会の設立許可がある運びとなつたのである。そして、右申請書の原本は、控訴人財団の広瀬英利がこれを所持していることが判明したので、被控訴人は、その提出を要求したが、同人はこれを拒んだ。そこで、止むをえず、津地方裁判所の仮処分決定をえて、右原本の引渡を二回にわたり求めたが、控訴人会社代表者広瀬英利等の悪辣な執行妨害行為により、その引渡を受けることができなかつたため(甲第十一号証第十二号証)、被控訴人の目的たる財団設立は、その許可がなく今日に及んでいるのである。

三、もし、控訴人等のいうごとく、右申請書が反故となり終つたものであるならば、何が故に、裁判所の命令に二回まで背き、これが引渡を拒むのであろうか。控訴人等の主張とその行動は、全く矛盾し、諒解に苦しむものである。普通の常識を持つものならば、裁判所の命令には、むしろ積極的に協力するのが当然である。しかるに、現在もなお、控訴人等は、その引渡を拒絶しているのである。右の一事をもつてしても、控訴人等の行為は、極めて不明朗で邪悪な意図を有するものであることが充分に窺えるのである。

四、即ち、広瀬英利は千代二郎生前の寄附行為による財団の設立を続行したのでは、自分の思うようにならぬので、たまたま遺言証書があるのを思出し、遺言執行者たる名目をたてて、ほしいままに、千代二郎の遺産の全部である三十万余株の株式を自己の名義となし、自らその議決権を行使し、あらゆる手段をつくして、自己の控訴人会社社長たる地位を固執せんとしているものである。右株式の名義書換は共同の遺言執行者と称する清水英一等の知らない間に、勝手な決議録を作成して、違法な手続でなされているのである(甲第二十九号証、第三十号証)。

五、更に、広瀬英利は、自ら代表者となり、設立の許可申請をなしている控訴人財団の寄附財産として、亡千代二郎が生前に寄附した現金二十万円を加えている。しかし、右二十万円は、もし、控訴人等の主張するごとく、亡千代二郎が右財団の設立を放棄していたのであれば、現存していないはずである。いずれにしても、右二十万円は、遺言の寄附財産には全くないもので、控訴人財団に帰属しないことは、明らかなところである。広瀬英利は、明らかな横領行為をなしているのである。ここにおいても、控訴人等の主張と行為は、矛盾しているのである。

第三、千代二郎の遺言による寄附行為について、

千代二郎の生前処分による寄附行為は、遺言による寄附行為と抵触することが明白であるから、右遺言は、生前処分により無効となつたものであり、遺言の効力は、いかなる意味においても、効力を回復しないのである(民法第千二十三条、第千二十五条)。

一、千代二郎が生前行為により寄附した財産は、同人名義の控訴人会社の株式二十万株と、東海銀行に預金してある現金二十万円である。右株式二十万株は、これにつき控訴人会社も保管証明書を発行している点からみても、特定しているものであり、現金二十万円も、銀行預金の形となつているのであるから、千代二郎は、これを他の現金と区別して、既に寄附財産の提供をなしていたものである。しかして、右の株式二十万株は、遺言に記載した寄附財産たる株式の内の二十万株であることは、株券保管証明書、財団設立の趣旨、遺言公正証書(乙第一号証中)をみても、疑問の余地がないのであるから、千代二郎に、生前処分の寄附行為に基く被控訴人財団の設立以外に、控訴人財団を設立する意思のなかつたことは、本件の全証拠により、余りにも明白なところである。

二、控訴人等は、千代二郎生前の寄附行為に基く財団設立許可申請書が返還されたことのあることをもつて(返還の事情は、前述のとおりである)。財団設立を許可されないことが確定したと主張する。そうだとすれば、控訴人財団の設立許可申請書も、現在既に許可できないとして、審理されることなく返還されているから、遺言の効力について論ずるまでもなく、本件株式は、千代二郎の相続人等に帰属したこととなる。しかるに、控訴人等は、千代二郎の相続人等の本件株券の引渡をも拒絶している。控訴人等の主張と行動は、まことに奇怪というの外ない。

三、前述のごとく、千代二郎が生前になした財団設立のための寄附行為が、その前になした遺言による寄附行為と牴触する以上、財団設立の許可の有無と関係なく、右の遺言は、生前処分により取消されたものと看做され、その遺言が効力を回復しえないことは、民法第千二十三条、第千二十五条の明定するところであつて、控訴人等のこの点に関する主張も、明らかに誤つているのである。けだし、寄附行為は、主務官庁の許可の有無とは関係のない独立した法律行為であつて、それ自体一個の生前処分であることは、疑のないところであり、寄附行為は、その許可があるまでは何時でも、これを取消しもしくは撤回しうる性質のものであることを考えただけでも、控訴人等主張のごとき解釈は、これをなしうる余地がないからである。

第四、仮処分の必要性について、

次の事実は、本件仮処分の必要性を倍加するものである。

一、千代二郎の相続人清水清明、溝口花子及び米倉静栄は、本件株式以外の十万四千七百六十五株につき、控訴人等を相手方として、甲第三十一号証記載のごとき仮処分決定をえた。しかるところ、広瀬英利等の控訴人会社取締役は、右相続人等の離間を策し、昭和三十四年七月頃溝口花子の夫溝口孝及び米倉静栄の夫米倉貢に対し、控訴代理人長井源を通じて、右仮処分を取下げるならば、千代二郎の遺族に対する弔慰金五百万円を渡すが、もし取下げないならば、右弔慰金を渡さないのみでなく、広瀬英利等が控訴人会社の役員を退くときは、会社を無茶苦茶にしてしまうというがごとき暴言を吐く等、全く寒心に堪えない言辞をもつて、強く右仮処分の取下を要求した。株主総会で定められた弔慰金につき、現在に至るまでこれを交付せず、あまつさえ、自分等の都合の悪い仮処分事件の駈引の材料に、これを利用しようとする、公私を混同した広瀬英利の行為は、卑屈極まるものというべく、常識沙汰では考えられないのである。

二、本件株式並びに右仮処分の対象となつた十万余株の株式を控訴人財団代表者広瀬英利名義に書換えたのは、既述のごとく、広瀬英利が控訴人会社代表者たる地位にあることを奇貨とし、共同の遺言執行者と称する清水英一等も知らない間に、ほしいままに勝手な決議書を作成して、違法な手続でなされたものであるにかかわらず、控訴人会社は、これを黙認し、広瀬英利個人の利益を守るために、不必要な訴訟を続行しているのである。

三、右の次第であるから、被控訴人に本件株式の帰属が認められる以上、著しき損害を避けるためにも、又広瀬等の右に述べたような違法行為をも含めて、急迫な強暴を防ぐためにも、本件仮処分の必要性は、益々顕著となつているものというべきである。

四、控訴人等は、被控訴人代表者清水清明に対し、いわれのない個人的な攻撃をなし、自己の非を隠蔽せんとしている。しかし、控訴人会社は、実質上右清明と先代千代二郎が創立した会社であるのであり、広瀬英利等により、千代二郎の急逝を好機として、火事場泥棒的に、前述の三十万余株の株式と共に乗取られ、同人等の喰いものになろうとしているが、清明は、控訴人会社を喰い倒そうなどとは、毛頭考えていないのである。清明は、先代千代二郎の遺業を守るためにも、又その遺志たる財団を設立するためにも、控訴人会社の繁栄をこそ願うものである。尤も、清明並びに申請外日本新棉花株式会社は、千代二郎の死後広瀬英利等の現取締役の不法行為により、甚大なる損害を蒙つたので、止むをえず控訴人会社並びに広瀬等に対し、損害賠償請求の訴を提起していることは、これを否むものではない。

第五、附帯控訴の理由として、

原判決は、附帯控訴の趣旨の点につき、その必要性についての疎明がないとして、申請を却下したが、次の事由により、不服であるから附帯控訴に及ぶものである。

一、控訴人等は、本件仮処分事件の判決があるや、その執行を妨害するため、本件株券の従来の保管場所(控訴人会社の金庫)を変更し、遠く離れた東京の控訴人等代表者広瀬英利の自宅にあるなどと称して、第一回目の執行を不能ならしめたり、控訴人会社の現役員(清水清明を除く)は、不当な利益を計上した不健全な決算書を作成して、これを昭和三十四年五月二十九日に開催された第二十二期株主総会に提出し、原判決により、一応控訴人財団に帰属しないことが明らかになり、亡千代二郎の相続人たる清水英一、清水清明、溝口花子及び米倉静栄の共有に属すべき株式十万四千七百六十五株につき、同人等の議決権行使を拒絶し、敢えて、控訴人財団代表者広瀬英利にその議決権を行使せしめて、右決算書の議案を成立せしめたり、更には、本件株式二十万株並びに右株式十万株余に対する千代二郎死亡の昭和三十三年四月二十二日以後の配当金を、控訴人会社においてほしいままに、自己の用途に供しているのである。

二、次期総会たる第二十三期株主総会は、昭和三十四年十一月末日までに開催される予定であるが、右総会には、決算書の承認と任期満了に伴う取締役選任の議案が提出されるのである。控訴人会社の株式二十万株の配当金により、その運営資金の一切をまかなう被控訴人財団としては、決算書の内容は勿論、特に取締役の更迭には、重大な利害関係を有するものであり、現在の控訴人会社の会社運営は、原審において主張したとおり、極めて不健全であるから、著しき損害を避けるためにも、本件のごとく理由のない紛争を止めることを要し、又被控訴人財団の本来の目的を一日も早く達成するためにも、被控訴人財団が総会において、是非とも議決権を行使する必要があるのである。

被控訴代理人は、立証として、甲第二十六号証乃至第三十一号証を提出し、控訴代理人は、右甲号各証の成立をいずれも認めた。

理由

先ず、被控訴人が当事者能力を有するかにつき、考えてみる。

凡そ、財団法人は、一定の目的のもとに結合された財産が中心となり、その目的のためにこれを管理運用する組織を有するものであつて、民法上設立を認められる財団法人は、公益を目的として、寄附行為により特定の財産が出捐せられ、主務官庁の設立許可があつたとき、法人として成立し、法人格を取得するものであることはいうまでもない。そして、かかる法人格を有する財団法人は、当然に訴訟法上の当事者能力を有するものであるが、民事訴訟法第四十六条は、民法とは別個の考慮から、法人格を有しない財団であつても、代表者又は管理人の定めあるものは、その名において訴え、又は訴えられることができる旨規定し、そのような財団の当事者能力を認めるところである。しかし、寄附行為により特定の財産が出捐せられ、主務官庁に対し設立許可の申請手続をなしている、いわゆる設立中の財団法人は、その寄附行為中において、設立すべき財団法人の目的、名称、事務所並びに資産及び理事の任免に関する規定を定めるものであつても、それがすべて、右法条にいうところの権利能力なき財団として、当事者能力を有するものとはいいえない。寄附行為により出捐せられた財産が、寄附行為者の個人的財産より明確に分別せられて、現に独立の存在として、管理運用せられているものでなければ、設立中の財団法人であつても、権利能力なき財団として、当事者能力を認めえないと解すべきである。けだし、民事訴訟法第四十六条は、法律上人格のない社団又は財団が現実に発生することを防ぎえず、これらの団体が社会活動を営む以上は、第三者との間において、或は取引関係に立ち、或は紛争の生ずることも免れないので、これを解決(訴訟的に)する便宜のために、法人格のない団体であつても、外部に対する関係において、相手方と対立しうる程度に明瞭な組織を有するものにつき、特に当事者能力を認めることとしたものであり、同法条にいわゆる権利能力なき財団とは、一定の目的のもとに捧げられた特定の財産であつて、実質的に個人の帰属を離れた独立の存在として、管理運用せられると共に、社会生活上においても、一個の団体として取扱われているものをいうと解しなければならないからである。自然人の権利能力(従つて当事者能力)は、原則として、出生に始つて死亡に終り、ただ例外として、胎児は、相続や遺贈又は不法行為による損害賠償等の関係においては、既に生れたものと看做されて(民法第八百八十六条、第九百六十五条、第七百二十一条)、権利能力を認められ、その限りにおいて、訴訟法上も当事者能力を認められることとなろう。そして、寄附行為に基き設立許可申請手続中の財団法人は、将来許可により誕生する法人の胎児としての存在を有するものであるが、これにつき自然人の胎児に関するような規定はないのであるから、それとの対比類推においてこれを論じ、前述するところ以上に考える根拠も必要もない。民法第四十二条第二項は、遺言をもつて寄附行為をなしたときは、寄附財産は、遺言が効力を生じたとき(即ち、死亡のとき)より、法人に帰属したものと看做す旨規定し、そして、右規定は、生前処分をもつて寄附行為をなした者が、設立許可より以前に死亡したときにも、これを類推適用すべきものと解せられるが、右条項は、同条第一項が寄附財産は原則として設立許可のあつたときより、法人に帰属する旨定めるので、寄附行為者の死亡後法人の成立するまで、寄附財産を相続財産に属させておくことより生ずる弊害を避けるために、遺言執行者又は相続人が法人の設立許可申請手続をなして、これが成立したときは、寄附財産は、遺言が効力を生じたときから法人に帰属したものとして、その権利帰属関係を擬制したものに過ぎないし、又同法第四十条は、財団法人を設立しようとする者が、その目的及び資産のみを定めて、他の必要事項たる名称、事務所又は理事任免の方法を定めずに死亡したときは、裁判所は、利害関係人又は検察官の請求により、これを定めることを要する旨規定するが、右規定は、最も重要な事項である設立すべき財団法人の目的と資産が既に定められているのであるから、その他の必要事項は、これを補充完成して、法人として成立させる途を開き、死者の希望を達成させるために設けられたものに止まると解せられるから、これらの規定の存することをもつて、有効な寄附行為があれば直ちに、或はそれに基き法人の設立許可申請手続をなしていれば、寄附財産は、いわゆる権利能力なき財団として、訴訟法上当事者能力を認めるべきものとしなければならないわけではない。以上と同様のことは、社団についてもいえるところであつて、設立手続中の社団法人や設立中の会社等も、団体としての実体を備えると認めうる段階に達していなければ、いわゆる権利能力なき社団として、訴訟法上当事者能力を認めることができないと解する。

そこで、本件についてこれを見るに、原本の存在と成立並びにその写真であることに争のない乙第一号証、成立につき争のない甲第一号証、同第三号証の一及び二、同第十五号証、乙第三号証、同第四号証の一及び三、被控訴人代表者清水清明の供述により成立の真正を認めうる甲第三号証、原審における証人辻井正之の証言(第一、二回)並びに被控訴人代表者清水清明及び控訴人両名の代表者広瀬英利の各供述によると、亡清水千代二郎は、死後その所有する控訴人会社の株式三十万四千七百六十五株を出捐して、育英事業を起そうと思い立ち、昭和三十一年一月十三日遺言をもつて、財団法人清水育英会設立の寄附行為をなしたところ、知人の訴外伊藤忠兵衛より、生存中にこれを設立すべきことを奨められたので、改めて、同年十一月二十八日生前処分をもつて寄附行為をなし、右所有控訴人会社株式の内二十万株と現金二十万円を出捐して、財団法人三桝育英会(名称に寄附行為者の姓を冠することを避けて改めた)を設立しようとし、同年十二月二十五日主務官庁たる文部省にその設立許可の申請手続をしたのであるが、これに不備な点があつたため、設立許可をえることができないで、昭和三十三年三月末頃には右申請書類が一旦返戻されるに至り、その後間もなく同年四月二十二日急死したこと、同人の死後、その次男で相続人の一人である清水清明が、右千代二郎の生前の寄附行為に基く財団法人の設立手続を受け継ぐものとして、同年十二月自ら設立代表者となり、その設立許可の申請手続を続行するに至つたのであるが、一方、控訴人会社代表者たる広瀬英利も、前記千代二郎の遺言執行者として、同人の遺言による寄附行為に基き、財団法人を設立すべきものとして、その手続を進めるに至つたので、ここに寄附財産(殊に、控訴人会社の株式)の帰属をめぐつて紛争を生じ、いずれにも設立許可がなされていないこと、そして、右清水清明の設立しようとしている財団法人が被控訴人三桝育英会であり、右広瀬英利の設立しようとしているのが控訴人清水育英会であること、ところで、亡千代二郎は、その生前になした寄附行為(乙第一号証)中において、設立すべき財団法人の目的、名称は勿論、事務所並びに資産及び理事の任免等に関する規定を定めているのであるが、同人が出捐した財産は、前述のようにその所有する控訴人会社の株式三十万四千七百六十五株の内の二十万株と現金二十万円であるところ、右出捐した株式二十万株につき、何等の特定もなされておらず(株券が発行されていること明らかであるから、その記号番号によりこれを特定しうるところである)、又右出捐の現金二十万円も、株式会社東海銀行伊勢支店に同人の別口普通預金とせられていたに止まるのみでなく、同人は、死亡するに至るまで、控訴人会社代表取締役の地位にあつて、右出捐の分をも含めた全所有株につき、株主権を行使し、又これに対する配当金を受取つて、自己の所得となしていたこと(同人の死亡後は、控訴人会社において右株券並びに配当金を保管している)、なお、清水清明は、亡千代二郎の出捐した株式を三十万四千七百六十五株、現金を五十万円として、設立許可の申請書類(一部)を作成しているが、同人が生前の寄附行為により出捐した株式と現金は、前述の二十万株と二十万円に過ぎず、それ以上に出捐したことは、これを認めえないし、又清水清明は、昭和三十三年十二月二十九日現金三十万円の寄附申込をなしているが、これを同人の寄附行為による財産の出捐とみれば、これに関する寄附行為書の作成がないから、同人の将来設立さるべき財団法人三桝育英会に対する単なる寄附申込とみる外ないこと、以上の事実を認めることができる(叙上の認定に反する被控訴人代表者清水清明の供述は、前掲他の各疎明に照して措信しえない)。そして、右認定の事実よりすれば、亡千代二郎の生前処分たる寄附行為による財産の出捐は、債権的なものであつて、その寄附財産は、同人の個人的財産より明確に分別せられて、右出捐当時より現在に至るまで、独立の存在として、管理運用せられているものということができない。そうとすれば、被控訴人は、民事訴訟法第四十六条にいわゆる権利能力なき財団として、訴訟法上当事者能力を有するものではないというべく、従つて、被控訴人の本件仮処分申請は、不適法としてこれを却下すべきものと考える。

よつて、右のところと見解を異にして、被控訴人の仮処分申請を認容した原判決は、不当としなければならないから、これを取消すべきものとし、被控訴人の本件附帯控訴は、理由がないというの外ないから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十六条、第八十九条を適用して、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 浜田従六 裁判官 山口正夫 裁判官 吉田誠吾)

物件目録

一、三桝紡績株式会社株式 二十万株(一株の金額五十円)

但し、名義人昭和三十三年四月二十二日当時清水千代二郎で、昭和三十三年九月三十日附で財団法人清水育英会設立代表者(又は設立準備委員長)広瀬英利名義に書換えられたものであつて、控訴人会社が昭和三十一年十一月二十八日被控訴人に対し、保管証明書を交付して保管していたもの。

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